ケノンの歴史
ケノンは1827年にパリから80キロ東のシャトー・ティエリに設立され、1883年にケノン一族に買収されていますが、当時すでに品質のよい打楽器、木管楽器、金管楽器、軍用のビューグルなど製造し定評のあるブランドとなっていました。48年間アメディー・ケノン氏のリーダーシップにより数々の賞を取り、また技術革新を遂げています。またプライベート・ブランドとして米国にも多く輸入されています。1911年には11か所に工場を持ち、1000人以上の従業員を有し、一流のアーティスが使う楽器のメーカーとなっていました。1930年には「ファンファーレ・バンド」というブランドを立上げ、フランスのマーチングバンドのマーケットをほぼ独占するまでになりました。今でも高い評価を得ている戦前のフレンチ・ベッソンのトランペット工場は当時、パリのケノンのトランペット工場のすぐ隣にありました。当時のケノンのトランペットは奇妙にもフレンチ・ベッソンに瓜二つです。戦後、C管、Bb管のマーケットはセルマー、クルトア、ルブランそしてより規模の大きなアメリカのブランドが占めるようになりましたが、ケノンはマーチングバンド市場にはまだまだ根強い人気がありました。1960年代からファンファーレ・バンドの市場以外の音大学生市場を求めてより高品質の「モノポール・コンサーバトリー」のラインを立ち上げましたが、市場を得る事はできませんでした。またフランスのマーチングバンド自体が次第に亡くなったため6割以上を輸出するようになりましたが販売は落ち込み、さらには1969年パリのメイン工場の火災で大きな被害を被る事になりました。1978年には米国の輸入元のグレッチとの契約が切れたことで、米国におけるケノンの存在感は無くなってしまいました。火災によってそれまでの貴重な記録が全て失われてしまった事で製造番号から製造年などを特定する事が難しくなっていますが、近年は熱心なユーザー達によってデーターベースを構築する試みがなされています。今でもケノンのフリューゲルホルンはその独特なダークな音色が人気で、多くのジャズプレイヤーが使用しまた多くのメーカーにコピーされています。
コンディション
オリジナルのラッカー仕様を剥いでRaw Brassにした、ケノンモノポールモデルです。なかなか市場に出ない非常に希なモデルです。ダークで暖かなケノンサウンドは他のフリューゲルホルンでは得られないものです。リードパイプはオリジナルで径が若干小さく、通常のフリューゲルホルンのマウスピースは使えますがピッチが低くなりがちなため、ケノンシャンクのマウスピースを使う又はリードパイプを短く加工するか、又はケノン用のリードパイプを購入して使用する事をお勧めいたします。チャーリー・メルク製のケノン用リードパイプは下記からお求めいただけます。
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