13ケ月でトランペットを吹き始めて2才で演奏したジェリー・ヘイとアルトゥーロ・サンドバルの対談です。

アルトゥーロ・サンドバルは数々のアランペット・アーティストとの対談をやっていますが”Trumpet Regend”と言われ、マイケル・ジャクソンのホーンセクションのアレンジでも有名なジェリー・ヘイ氏との対談がありましたのでご紹介いたします。知的でどちらかと言うと寡黙なジェリー・ヘイ氏と陽気なサンドバル氏が対照的でした。


(Arturo Sandval)ホームタウンは?
(Jerry Hey)シカゴの北にあるディクソンという所で酪農や大豆栽培やらの農家が多い町ですが、音楽は盛んでした。高校までそこで過ごしてブルーミントンのインディアナ大学に行きました。音楽のプログラムでは世界最大規模で、3年いましたが一度も会った事のないトランペットプライヤーが沢山いましたよ。

(A)いつからトランペットを始めたんですか? 3才頃?
(J)信じられないと思いますが、13か月です。2才と1週間の時に祖母の誕生日で演奏したのを覚えてます。3才で教会で演奏しました。母親がそこのピアニストだったので。

(A)….13か月!?
(J)10 才上の兄がボーイスカウトでビューグルを吹いていて、家にあった楽器を吹き始めたんです。楽器を持って寝ている幼い頃の写真もあります。

(A)最初の仕事は?
(J)父親がトロンボーンプレイヤ―で、ジャック・ティーガーデンそっくりでした。父親と隣町の高校のダンスパーティーの仕事が最初で、Valley Highを45分間も演奏しました。1964年,14才の時です。

(A)私の最初の仕事は11才の時で、3セット演奏してギャラは$5でした。いつトランペットプレイヤーになると決心したのですか?
(J)最初はプロのボーリング選手になろうと思ってました。トランペットプレイヤーに成ろうと思ったのは、シカゴシンフォニーのチャールス・ガイヤーにレッスンを受けてからです。私の町のバンドディレクターに2人の兄弟がいて、ブライン(現在、最も有名なユーフォニューム奏者です)とヴィクター(トランペット奏者)ですが、ヴィクターはアドルフ・ハーセスのレッスンを受けていたのですが、彼はもう生徒を取らないという事でチャールスを紹介してくれたのです。オーケストラはCトランペットを吹かないと駄目だという事で、シカゴ・シンフォニー・ニューヨークバックのC管を2,3年貸してくれました。ハーセスのお気に入りの楽器です!

(A)ハーセスは私の友人でもあります。モーリス・アンドレが自宅に私、ハーセス、ピエール・ティボ―、 ドック・チーサムの4人を招待してくれて5日間一緒でした。ハーセスはビールが好きで、何故好きなんだと聞いたら、ボトルの口がマウスピースと同じだからと冗談を言っていました。モーリスは英語が話せなかったんですがスペイン語は堪能だったので、私がハーセスとの通訳をしました。さて、あなたはどんなコードも判ってしまう素晴らしい耳と完璧なピッチをお持ちですが、それは勉強では得られない、まさに神様の贈り物だと思います。いつその才能に気が付いたんですか?
(J)ミシガン州の北にあるインターライケンのサマーキャンプに行ったときに、私が聞くだけですぐに演奏できたのを友人が見て「絶対音感があるね」と言ったんですが、その時はなんの事かわからなかったんです。後で2秒ごとに音が変わる機械で音感テストがあって全ての音を当てました。キャンプ中にクリフォード・ブラウンのソロを2~30曲くらい耳でコピーしました。

(A)私はトランペットの音はわかりますが、他の楽器の音はわかりません。ビル・アダムの話を聞かせて下さい。
(J)インディアナ大学でオーディションがあって、350人のトランペットプレイヤーの中で私は2番でした。ビルのアシスタントに最初のレッスンを受けたんですが、いきなり私の腕を掴んでビルの部屋に連れていかれ、今から彼があなたの先生ですと言われました。その時はビルがどんな人は全然知らなかったんですが、その日からビルのレッスンが始まりました。チャーリー・デイヴィス、ラリー・ホールも彼の生徒でした。それから2年半は毎日10時間は練習しました。

(A)作曲、編曲をするようになったのは?
(J)ラリー・ホールがハワイのショーの仕事があって、私も一緒にハワイに行きました。チャック・フィンドレイ、ゲイリー・グラントも来て素晴らしいホーンセクションでした。 タワー・オブ・パワー、ブレッカー・ブラザースなどの曲をコピーして書いていました。オリジナルの曲をやろうという事になって書いたのが始まりです。本当はトランペットだけを吹いていたかったんですが、誰かが曲を書かないといけなかったので仕方なく、というのが始まりです。その後ハワイで結成した”Seawind”というグループで、スタジオシティーのベイクトポテトで毎週演奏していたんですが、多くのミュージシャンが聞きに来てくれて、それが私のスタジオでのキャリアーのスタートになったんです。

対談は1時間以上に渡っていますが、聞き手のサンドバルの方が良くしゃべっていて、後半は友人のチャック・フィンドレー、ゲイリー・グラントも加わって対談というようり懇親会になっていました。

2018年3月に行われたインタビューがMouthpieceonline. Com載っていました。ほぼ同じような内容ですが、サンドバルの対談に無かった部分をご紹介いたします。


若い時に最も影響されたミュージシャンは?
「父親がシカゴでライブを聴いてレコードを買ってきてくれたのですが、クリフォード・ブラウンです」

ビル・アダムについては?
「トランペットの事に関係なく、彼は今まで人生の中で出会った最も偉大な人物だと思っています。今でも彼の生き方を見習おうとしています」

使っている楽器は?
「カリキオを使っていた時期もありましたが、バック37と3Cが標準です。ボブリーブスにニューヨークバックの3Cのリムを付けています」

エンジニア―やプロデューサーのベンチマークになっていますが、リッチで輝かしい密度の濃いホーンセクションのサウンドの秘密は?
「全ては個々のプレイヤーがセクションのベストサウンドのコンセプト持つ事から始まります。エンジニア―や編曲が本領を発揮するのはその後です。ホーン・セクションのサウンドがどうあるべきか、またどうレコーディングされるべきかの全てを知り尽くしたブルース・スウェデンやクインシー・ジョーンズから多くを学びましたし、彼らと仕事ができて本当に幸運でした」

トランペットのレコーディングに最適はマイクは?
「 私の好きなのは、ノイマンU47, KM54, U67ですが、最近ロイヤーの121、122も使いました」

今まで一緒にやった事の無いホーンセクションの中で好きなのは?
「タワー・オブ・パワー、ブレッカー・ブラザース、エドガー・ウィンター・ホワイト・トラッシュ、スティービー・ワンダー、スヌーキー・ヤングとサッド・ジョーンズが居た頃のカウント・ベイシーです」

今までで、一番誇りに思う仕事は?
「数えきれない程ありますが、一番誇りに思ったのは息子のアンドリューとの仕事でした。レコーディングを終わってお疲れ様と言った後、アンドリューがもう一回やろうと言ったんです。プレイバックを聴いてみるとその理由が判りました。その時初めて、彼がいかに素晴らしい耳を持っているかが解ったんです。それ以来、彼のアドバイスには全て従っています」


1才ちょっとでトランペットを始めて、ビル・アダムスの愛弟子として猛練習をした彼が、若いトランペット・プレイヤーへのアドバイスは?と聞かれて「listen, listen, listen, and practice」と答えていました。比類ない素晴らしい耳を持っているジェリーさんをして、listenを3回も強調するのは、普通の人には判わからないサウンドが聞こえているのかもしれません。しかし最後の質問の答えは、ジェリーさん、やや親バカな所もあるんですね . . . 。よほど嬉しかったのでしょう!

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