カール・サンダースのインタビュー記事と動画があったので要約してみました。Carl Saunders Interview Vol. 1

Monster Oilというバルブオイルの会社がやっているBrass  Chats Episodeで、いろんなミュージシャンへのインタビューがYoutubeで観られるのですが、カール・サンダースのインタビューがあったのでご紹介いたします。カール・サンダースのオフィシャルページにも長いインタビュー記事があって、同じような内容もあるので要約をしています。私は翻訳のプロでは無いので、もし違っている部分があれば、すみません、ご指摘いただければ有難いです


(Interviewer)若い頃の話を聞かせて下さい。
(Carl Saunders)音楽一家で育ちました。母親のゲイル・シャーウッドはシンガーでラジオ番組を持っていました。スタン・ケントンがピアノだったんですが、彼がバンドを結成すると最初のシンガーになりました。叔父のボビー・シャーウッドのバンドは大ヒットした曲が2曲ありました。私もボビーのバンドでドラマーとしてツアーをしました。しかし私が5才の時に母親は仕事を失って、音楽の仕事は不安的だからと私を音楽から避けるようにしたんですが、同時に自分の進む道は自分で考えろとも言いました。ボビーのバンドで5年間は音楽にどっぷりだったので音楽の仕事をしたくて、ロサンゼルスの叔母のキャロラインの所に行きました。

彼女の夫は有名なサックスプレイヤーのデイブ・パルで彼のオクテットでボビー・シャーウッドのトランペットを聴いて再びインスパイヤ―されました。彼はギタリストでもあり編曲も得意で、クラーク・テリーのようでした。同じバンドのドン・ファガークィストも大好きでした。当時は彼のように暖かで美しいラインで、良く歌うトランペットを聴いた事はありませんでしたし、彼ほど楽しそうに吹くトランペットは居なかったんです。今でも彼のようにやりたいと思います。

(I)信じられませんが、練習をしないというのは本当ですか?
(C)叔父のボビーのバンドでツアーをした時、仕事ではトランペットを吹けなかったので教則本をしこたま買い込んで練習しました。この時期が一番練習したと思います。ラスベガスの高校に行ったんですが、ジャズをやりたかったので演奏はしましたが、いわゆる練習はしませんでした。

ラスベガスのショーの仕事を始めてからは、毎晩2ショーやってから朝までジャムセッションをやってました。ジャムセッションが無い時は、家にベース、ドラム、ピアノがあったので、そこで朝までジャム・セッションでした。サム・ノート、カール・フォンタナ、フランク・ロソリーノがベガスに来た時は朝の6,7時までセッションしました。そんな毎日だったので翌日は寝るだけで、練習をやっている時間はなかったのです。

(I)スタン・ケントンに入ったのは?
(C)高校を卒業した
ばかりの時スタンケントンがリビエラホテルに来たので友人と毎晩、聞きに行きました。カジノから追い出されないようでタバコを吸って年上に見えるようにしました。ある日、母親がケントンに、息子のオーディションをしてくれるか聞いてくれたのです。彼はOKしてくれました。

オーディションはジェリー・マリガンのウォーキング・シューズのリードバートでした。高校にはジャズのプログラムは無かったのですが、家でこの曲のアレンジを聴いていたのでプレイできました。スタンからトランペットの空きが出るまで待つか、翌週からメロフォニウムでツアーに出るかと言われて、メロフォニウムのスポットを取りました。スタンはフレンチホルンでブラスに厚みを持たせたかったのですが、スィングするフレンチホルン奏者が見つからなかったようでした。1年半メロフォニウムを演奏しました。

(I)18才という若さだったわけですが。
(C)バンドメンバーは皆は20代半の中で、私は子供のようであまりうまく演奏はできなかったので、誰も付き合ってくれませんでした。1962年にチャーリー・マリアーノがテナーで加わったのですが、彼はバンドの中で一番イケていて、移動のバスの一番後ろの席でアレンジやハーモニーの事を教えてくれました。彼は音楽博士のようで、クロマチックアプローチの事をいつも話していました。仕事を終えてジャム・セッションに行ってトランペットを吹いたんですが、チャーリーの言っていたクロマチックのパターンを練習しました。今も指が良く動くのはこの時の練習によるものだと思ってます。

(I)ハリー・ジェイムスと仕事をしたんですよね。
(C)1978年、ラスベガスのヒルトンホテルのディナーショーでピアノを弾いていた時、プライベートパーティーでハリー・ジェイムスのバンドが来ました。ドラマーのソニー・ペインが飛行機に乗り遅れたとかで、マネージャーがパニックになっていて、仕事を終えて帰宅するなり自宅に電話があって私がドラムを叩く事になったんです。ハリーはドラマーが別人と言う事に気が付かないくらい酔っぱらっていたんですが、一音も間違える事なく素晴らしい演奏をしました。それからバディー・リッチとハリーのバンドで1年間ツアーをしました。

(I)素晴らしいレンジをお持ちですが、いつハイノートを出したいと思ったのですか?
(C)ある日、バート・へリックのマウスピースを見つけて、突然ハイノートができるようになったんです。友人は「突破口マウスピース」と呼んでました。その時からリードを吹くようになったんです。リードとしての最初の仕事は1967年にメイナードがトロピカーナホテルに来た時で、彼とフォック・ハントをステージで一緒に演奏して、マアマアと思ったんですが、彼のソロになると私はまるで、ひき肉みたいにバラバラになりました。

(I)ジャズをやりたい若者へのアドバイスは?
(C)ジャズのソロイストになりたいトランペット・プレイヤーは多くはないと思ます。リード・プレイヤーのようなエッジの効いた浅いマウスピースや筋肉は必要ないですが、より大きなマウスピースで柔軟性がある暖かいサウンドが必要です。それと「ジャズを練習するという事」をずっと考えて来たんですが、ジャズというのは頭に浮かんだ事を音にする、要するに何かをクリエイトする事なので、楽器の基礎を練習するというのは理解できますが、例えばフレディー・ハバードのフレーズを練習してそのまま演奏するというのは、ちょっと違う感じがします。

ジャズを練習するという事について、メカニカルな方法は楽器を習得するいう部分ですが、ジャズは自然な方法で練習すべきで、それをジャザサイズと呼んでいるんですが、例えばDm7-G7の次にGm7-C7, Cm7-F7というように全てのキーでアドリブを練習するという具合です。メカニカルな練習法はいつも同じ音ですが、ジャザサイズの練習は毎回違ったフレーズですし、毎回違った音楽を演奏できます。

(I)フレキシビリティーとは?
(C)いい質問です。頭に浮かんだことを演奏するだけなんですが、どちらかというとサックス・プレイヤーのアプローチに近いかも知れません。仕事の後にとにかくジャズを演奏したくて、タクシードライバーにジャズクラブの場所を聞いてジャムセッションに行きました。それが練習になりました。

それと、学生にはいつも言っているんですが、できるだけ少ない息でフルサウンドを得るようにしなさい、オーバーブロウーはしないようにと。ロサンゼルスのスタジオプレイヤーのみならず90%以上のトランペット・プレイヤーは大きな音で吹きすぎです。クリニックの先生も言う事はいつも同じ、もっと息を、もっとダイアフラム、もっとサポートをといった感じで、、最も私の意見は少数派で賛同を得ることはあまり無いんですが、自分に合う息のスピードを見つける事が重要だと思います。トランペットプレイヤーの抱える悩みの多くはこれが原因です。私がリードをやる時はいつも、ミゾフォルテから始めます。その方がコントロールできますし、クールで、全てがうまくいきます。 カール・フォンタナを聞いてみて下さい。彼のトロンボーンはソフトで柔軟で、絶対にオーバーブローしません。彼から多くを学びました。

(I)リード・トランペットへのアドバイスは?
(C)リードをやる時は、セクションに溶け込むように少しバックオフして、コードがバランスするように心がけます。ビッグバンドのレコードではリードが一番聞こえてきますし、レコーディングエンジニアもそうします、そしてリードプレイヤーも目立ちたい。リードはエッジのあるマウスピースを使って他の音を消してしまいがちます。

50年、60年代、アル・パチーノの時代は皆バックのマウスピースを使っていたのでセクションに良くブレンドしました。今はバックを使っているリードは見ません、ハイノートが出しやすい浅いカスタムのマウスピースを使っていますが、これだと音程を合わせてブレンドするのは難しくなります。私が60年代にサイ・ゼントナーのバンドに居た時、リードのアーニー・チコスキーはバックの7Cを使ってましたが、ハイA, BはもちろんダブルハイCもしっかり決めてました。しかもフルサンドで完璧にハモってました。

ジャズプレイヤーはソロでアーティスティックに自分を表現できますが、今のリードはどう表現するかと言うと、私は厳しい事を言うのですが、譜面にないオクターブ上を吹いたり、最後にコードにないハイノートを出したりです。私の意見は違っていて、もっとバックオフして、デリケートに演奏を心がけるべきだと思います。もちろん野外でモニターが大きすぎたり、いろんな場面はあると思いますが。 私の生徒にはトランペットはデカい音を出す武器ではない、素晴らしい音楽を演奏するための、暖かい、繊細な、そして美しい楽器なんだといつも言っています。

(I)今まで一番好きなアルバムは?
(C)テリー・ギブスのエクスプロージョン。アル・パチーノがリードでした。

(I)使っている楽器は?
(C)バーバンクベンジの3XベルのMLボアで、1968年にエルデン・ベンジから中古で買ったものです。バルブが少し短い珍しいモデルです。何社か私用に作ろうとしたんですが、、リードにもジャズにも使います。マウスピースはマウントバーノンでもNYバックでもない普通の10 1/2Cです。リードの時はいろいろ試してます。フリューゲルはオールズ、マウスピースも楽器に付いてきたオールズです。

(I)今まで一番きつかったバンドリーダーは?
(C)ベニー・グッドマンは酷かった。キング・オブ・スィングですがバンドメンバーの扱いは本当に酷いもので、私達へ気遣いなど皆無でした。それからジェリー・マリガン。私は彼の音楽は好きで本当に尊敬していたのですが、メンバーを大切にする気持ちなど皆無で、一緒に音楽をやる気になりませんでした。1年ツアーをしましたが終わってホッとしました。

(I)今まで一番おかしかった事は?
(C)バディ・リッチのバンドで、確かブルースという曲だっと思いますが、ボビー・シューがリードで私が2番で、最後のHi-Abをヒットしたんですが、バディーがなかなか終わらせてくれなくて、気が付いた時はボビーの腕に抱えられてました。一瞬何が起こったかわからなくて、ボビーの手を払いのけて「何やってんだ!」と叫んだのを覚えてます。


カール・サンダースのオフィシャルサイトには、もっと興味深いインタビューの記事がありますが、また次回にご紹介したいと思います。ややもすると彼のテクニック部分のみが語られる事が多いのかもしれませんが、1969年から半世紀近く同じ楽器を使い続けている事や、リードについての持論、またジャズを演奏するという事への深い考察など、本当にユニークなジャズ・ミュージシャンだと思いました。 “Carl Saunders is the One and Only”です。

(参考記事)
カール・サンダースのインタビュー要約記事 Vol.2
クリス・ボッティ―のインタビュー記事 Vol.1

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