クリス・ボッティのインタビュー by マイケル・デイビス Vol.1 Chris Botti Interview by Michael Davis

ニューヨークのブルーノートでは年末年始のクリス・ボッティのコンサートが恒例になっています。今年も1月1日、2日、4日、5日、6日とほぼ連日でスケジュールされています。ジャズのトランペットで独自の世界を作り上げた、今や押しも押されぬスーパースターですが、成功までにどんな道のりだったのでしょう? 音楽関連の出版やオンラインセミナーなどを扱うHipBoneMusicのマイケル・デイビスが2013年に行ったインタビューがYoutubeにありましたので、興味深い部分について抜粋してみました。(人の名前などが出る部分などはややボカシた内容になっている所もあり、ある程度意訳した部分もありますので、何卒ご容赦の程をお願いいたします)


まずチャレンジングなジャズトランペットの世界で素晴らしい音楽をクリエイトした中で、どんなゲームプランがあって、どんな事が原動力になったのかと質問について、次のような感じの応えでした。(インタビューアーのマイケル・デイビス氏は共演の経験がある)

私達は地下鉄の中とか冬の寒い日に5番街とかで演奏しましたよね。今ではとてもやる気にはなりませんが。ストリートで稼いだ僅かなお金をかき集めて家賃を払えたんですが、今から考えるとアカデミー賞を取ったと同じくらい嬉しい事だったと思います。ナイーブな事ですが、どんな小さなゴールでも一つ一つ達成していけば落ち込む事はないですし、それが踏み台になって大きな事が達成できるんだと思います。「どうやればあなたのようなキャリアを積む事ができますか?」という質問を良くされますが、そんな事はわかりません。周りの人、セクションの他のプレイヤーや、先生だったりバンドのディレクターをまずは印象付ける事が大切だと思います。

「道のりにプランBは無い。これが達成したい事だという意志が原動力」という記事についてのコメントでは、次のような応えでした。

ジャズは歴史もあり難しい音楽ですが、私は意識的にこれはやりたく無いという事柄を決めました。ニューヨークに住むようになった時、ウィントン・マーサリスが破竹のような勢いで登場して、彼の信じられないような才能でガラスの天井を作ってしまったんです。彼のようになろうとしてもガラスに付き当たってそれより上には行けないのです。もし自分に自信があって突き破ろうとすれば、別のところにガラスの天井を作らないといけません。私は彼のように、All The Things You Areを15コーラスも演奏できません。要は自分の胆力を信じて自分の音楽のプラットフォームを作り上げないといけないのです。1985年にそれに気が付いてから、最初のアルバムができるまで10年かかりました。

インディアナ大学でデイビッド・ベイカー、ビル・アダムスやウッディー・ショーに師事したのですがどのような影響を受けたのですか?という質問に、マイルスとの出会いについて応えています。

ジュリアードやバークリーと違ってオレゴンもインディアナも田舎で、練習以外にする事がないので毎日7~8時間練習しました。今でも朝起きてビル・アダムスに習った事に感謝する事があります。偉大なジャズトランペットとして4人位はすぐに思い浮かびますが、私にとっては12才の時に聴いたマイルス・デイビスのマイファニーバレンタインが私の人生を変えました。それまで聞いていたメイナード、ドック、アルハート、ルイ・アームストロングは明るく楽しい音楽でしたが、マイルスのそれは全く逆で、心にジーンと響くものでした。一生涯トランペットを演奏しようと、この時に決めました。今使っている楽器との出会いも関係があります。昨年、ホワイトハウスにハービーハンコックと共に招待されて歴代大統領の前でマイファニーバレンタインを演奏しましたが、これも本当に奇遇でした。

1985年にバディーリッチのバンドに加わって、フランク・シナトラとの共演をした際のエピソードについては、バディー・リッチとは友人にはなれなかった応えています。

フランク・シナトラの仕事は楽しかったけれど、バディーリッチとの仕事は反対でした(笑い)。やりたくない事をやっても何も学べない、ビッグバンドは私のやりたい事では無い事が良くわかりました。シナトラの仕事のため4年で中退してロサンゼルスに飛んだその日にサウンドチェックだったんですが、クインシー・ジョーンズを始めスターが大勢いて、シナトラの声の調子も最高でした。私はトム・ハレルやウディー・ショーに傾倒していたんですが、バディー・リッチはビックス・バイダーベックのようなタイプのトランペットを望んでいたので、5週間でバディーの仕事は終わり、友人にはなれませんでした。

ニューヨークに来てすぐにスタジオの仕事して、同時に錚々たるメンバーで“New West Horn”という素晴らしいホーンセクションを立ち上げたのですが、その時のストーリーはについて次のようにコメントしています。

私達の世代の1つ前には偉大なアーティストでありサイドメンであり、また素晴らしいスタジオミュージシャンのランディ―・ブレッカー、マイケル・ブレッカー、リチャード・T、デイビッド・サンボーン、ジェリー・ヘイ、スティーブ・ガッド、ルー・ソロフ達が居ました。彼らがすでに素晴らしいスタイルを確立していたのです。何か新しい事をやろうとしても無理だろうと皆が思っていたんですが、何とか我々の世代でいろんな事をトライし、若いミュージシャンのアイデアを入れたり新しいホーンセクションのサウンドを模索したりしたのです。


クリス・ボッティのインタビュー by マイケル・デイビス Vol.2に続く

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  • No products in the cart.